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   Season01 チョコとコーヒー

(一)

 吐く息が白い。
 二月、冬真っ只中だ。
 冬には、白がよく似合う。息の透明な白さ。道端の雑草に降りる霜の灰色がかった白。セーターの柔らかな白。舞い落ちる雪片の純白。
 自分の口から溢れる白い息をぼんやりと見つめていると、息が消えて行く先に後姿を見つけた。黒い学ランを着た小さな後姿は、あたしと同じように白い息を吐いている。
「吉野。おはよう」
 追いかけて、声を掛ける。
「おう」
 振り返る吉野秀人は、いつものように天真爛漫だ。この男からは、息だけじゃなく全身から湯気を立ち上らせているような印象がある。実際、秀人は口から白い息を吐いているだけではなかった。彼の持っている缶コーヒー。飲み口から暖かそうな湯気が上がっている。
「これ? よかろう。あげんけんな」
 缶コーヒーを見つめるあたしの視線に気づいたのか、頼んでもいないのに秀人は言った。
「だれも欲しいなんて言っとらん」
 あたしがそう言うと、秀人は安心したようだ。両手で握った缶から音を立ててコーヒーを口にした。
「今日ぐらい、決まるかな?」
 あたしは自然に二人がこんな時間に登校している理由を話題にした。
「ん、まあ、生徒会の出し物のほかにも、バンドの予選もあるけんなぁ」
 白い息を吐きながら秀人が言う。
 生徒会最初の大仕事、予餞会が迫っている。卒業間近の三年生に一、二年生の余興で最後に楽しんでもらい、気持ちよく卒業してもらおうという行事だ。あたしたちは全体の企画、運営とともに生徒会主催の出し物をしなくてはならない。けれど、これがなかなか決まらない。放課後は予餞会全体の雑事に追われて時間がないので、こんなふうに朝補習の前にまで集まることになっていた。
「寒い」
 温かそうな缶コーヒーを見ていると、つい言葉が零れた。
「やっぱ飲む?」
 そう言って、秀人がコーヒーを差し出す。さっき彼が飲んでいたコーヒーを。
「いらん」
「俺って、欲張りなのな」
 秀人が前を向いたまま言う。
「あったかいの買うと、いっつも迷うわけ。これでまず手を温めるか、飲んで体を温めるか」
「それで迷ってるうちに冷たくなっちゃって、後悔するっちゃろう?」
 あたしは自分でも度々経験してしまう失敗を言った。
 秀人の手のひらの缶コーヒーは、まだ湯気を立てている。
 彼は神妙な顔でうなずくと、コーヒーをまた一口すすった。

 

「この中に、やってみる価値のあるものが一体いくつあるんだ?」
 雅治は、苛立ちを隠せない表情で言うと、ため息をついた。
 生徒会室のホワイトボードに並ぶ、予餞会の式次第と生徒会の出し物の案。
「歌は有志のバンドがある。吹奏楽部の演奏もあるし、今さら俺たちでやることやなかろう。ダンスも有志のラインダンスがある。劇は、今からじゃとても間に合わない。コントなんて誰がやるん?」
「そもそも、こんなん見て、三年は本当に面白いん?」
「あのな、それを言っちゃ終わりやろ」
 秀人のあけすけな発言に、溝口幸二が言う。
「つまり予餞会そのものに意味がないって?」
 去年から生徒会役員を務める古谷剛は、秀人と幸二のやり取りが気に入らないらしい。慣例となっているプログラムをけなすことは、去年の剛たちの仕事をけなすことでもあるからだ。
「あたしたちだって、部活で時間を割いて練習したものを披露するんよ」
「そうよ。いい加減に取り組んでるわけじゃない」
 文化部長の山川麻美の言葉に、清美委員長の蜷川新右衛門が甲高い女言葉で同意した。二人は吹奏楽部に所属している。
 二人の意見に頷きながらも反論したのは、学園祭企画・実行委員長の秋山修一だった。
「二人の言ってることは、そうだと思うばい。
 でも、俺からするとここに挙がっているプログラムは全部、学祭でやってほしいものなんだよな。わざわざ、この時期にやるべきことだとは思えないのが本音やね。
 ほら、わざわざこの時期にやることでもないから予餞会をなくしてしまおうって毎年、職員会議で話が出るやろ。俺は、行事が減るのは嫌やけど、先生らの気持ちも分かるな」
 予餞会は絶滅危惧行事だ。
 ただでさえ授業時間が減っているというのに、期末考査直前の二月中旬に会を行うのはスケジュール的に問題がある。ろくに練習時間が取れないため、どうしても余興のレベルは下がってしまう。それに、センター試験が終わっているとはいえ、まだ進路が決まっていない三年生もいる。演者の自己満足に近い出し物を、三年にわざわざ登校させてまで見せる価値が分からない――こういったことが、予餞会を廃止しようとする側の主張だ。
「んじゃ、予餞会は今年から止めますか。その分、部活に出られるようになるし」
 そう言った吉野の頭を高杉麻衣子がぽかんと叩く。こういう光景にも、もう慣れてしまった。
「一年生は予選会がどんなものか分からないんです」
「去年は、どんな感じだったんですか?」
 まだS高の予餞会を経験したことのない加納亜希子と井上駿が尋ねた。
「企画した側としては、予餞会は二年の有志を募って、その中から生徒会側が見せてもいいと思ったものをやらせたってとこだな。例外は、毎年恒例になっている一部の部活と教師、生徒会。これは始めから出し物をやることになっとった。前生徒会は、正直言って何か新しいことをやろう、みたいな気持ちはなかったな。とにかく、期日までに企画して、当日の進行するって感じで」
「じゃあ、見るだけの側はどうだった? 長谷さん」
 雅治から意見を求められ、あたしは慌てて去年のことを思い出そうとした。が、印象に残るような記憶がほとんどないことに気がついた。
「うーん……あたしは、部活とか入ってないから、なにもやらなかったし、有志の二年生も全然知らない人ばかりだったんだよね。
 だから本当に観客だったんだけど、正直、早く終わらないかなぁとは思ったよ。あたしには、あまり関係のない行事だな、って」
「それは、三年生も同じ。私、去年S高を卒業した姉がいて言ってたんだけど。実際に活動するのは二年生で、それも三年生を送るって意味合いがある出し物ではなかったし」
 あたしの意見に賛同するように甲本美沙が言った。
「できるだけ生徒全員が関心を持てるものに、か」
 雅治が難しそうな顔でつぶやく。
「とは言っても、現実的な問題があるでしょう。バンドのオーディションは明日だし。吹奏楽だって内容は決まって、もう練習をしてる」
 麻衣子の意見を聞いて、雅治は少し考え込むように頬杖をついた。そして、ふと顔を上げた。
「いや、まだプログラムが完全に決定したわけじゃない。吹奏楽は、割と会の趣旨に沿った選曲をしているし、バンドもそういう実力とともに、そういう観点からも見ることを伝えれば、なんとかなるだろう。妥協案だけど、それで我慢せんとな。
 で、最後の生徒会の余興で予餞会の趣旨を前面に押し出して、シメる」
「雅治くん、それができれば苦労はせんったい!」
 秀人がシャープペンを指先で回しながら言った。
 けれど、それと同時に、学祭委員長の藤堂棗から声が上がった。
「ねぇ、もう一度、原点に戻ったらいいんじゃない。ほら、そんなに難しく考えないで。
 あたしたちが舞台に上がって何かをしようとするから、三年生とは関係なくなっちゃうの。そうじゃなくって、三年生の思い出を振り返る、みたいな」
「あ、それオーソドックスだけどいいかもな。主な行事のビデオなら、去年撮ったヤツがあるばい」
 剛は、そう言うと、勝手知ったる生徒会室の捜索を始めた。
「あの……写真部が撮った学校風景とか生徒の写真なんかも使えない?」
 そう言ったのは、写真部の紅一点で広報委員長の的野ツグミだ。
「それ、編集を加えれば、かなりいい絵になるっちゃないと? その案採用なら、俺、編集やるばい」
 同じく広報委員長の徳永智明が言う。彼は機械に強い。
「確かに、いい意見やけど、まだインパクトに欠けるな」
「うーん、ビデオとスライドだけだと眠くなるヤツもおるやろ」
 雅治と秀人の意見は厳しい。この意見も廃案かと思われたとき、加賀憲正がつぶやくように言った。
「俺さぁ、食堂の牛丼大盛りを汁だくにしてもらうのが好きなんだよな」
「んぁ? 加賀、まだ授業始まってもないのに、腹減ったんね?」
 秀人の言葉に加賀はまじめな顔で首を横に振る。
「いや、だからさぁ、卒業したら一番あとから思い出すのは、あの牛丼だろうなって思うったい」
「お前さ、野球部の思い出が一番じゃないわけ?」
 呆れたように溝口幸二が言う。
「野球は別格として。
 俺、絶対、卒業しても、いつもご飯と汁サービスしてくれるおばちゃんのことは忘れないと思うんだよな」
「あたしは保健室の先生。学校行く途中に急に雨が降っちゃったとき、タオル貸してもらったことがあって」
 風紀委員長の徳永智佳が、加賀の言葉に頷きながら言った。それを境に、みんな思い思いの体験談を話し始めた。
「それぞれ思い出の場所だとか出来事ってあるっちゃろう。でも、それを知る機会ってなかなかないよな。だから毎日通ってる学校でも知らないところは、まだまだあると思うんだ。例えば、僕は部活で第一実験室も第二実験室も使うけど、みんなは選択でどちらかの実験室しか使わない」
 そう言ったのは図書委員長の土井雄平だ。清美委員の福原希里もうなずく。
「わたしは、いつもお弁当だから、食堂であんまり食べないの。ねえ、食堂で時々券売機にないメニューを食べてる人いるでしょう。あれ、どうやって注文するの?」
「基本の食券に小銭つけて、おばちゃんに頼むったい。カレーの食券に五十円たしてコロッケカレーにしたりとか。そういう隠れメニューって上級生がやってるのみて真似するんだよな」
 文化部長の遠山恒靖が言った。コロッケの食べすぎじゃないかと思えるくらい、彼の顔は丸々としている。
「そういうの、クイズみたいにできん? S高カルトクイズ。三年は自分がどれだけ知ってるか分かって面白いし、あたしたちはそのまま役に立つし。あたし、問題とか考えたい」
 そう言ったのは、神埼つばさだ。
「それ、いけるかもな」
 雅治が、この日初めて満足そうに頷く。
「S高の食堂だとか、売店、図書室、保健室だとかの問題を出して、おばちゃんや司書の先生や保健室の先生から三年生に一言メッセージをもらうんだ。普通の先生からなら、卒業式までに集会なんかで話を聞けるだろ。で、ラストは、ビデオと日常的な学校生活のスナップで少し感動的にまとめる」
「あたし、出題者やりたい!」
 体育部長の鈴木麗奈が立ち上がる。長身の彼女が立ち上がると華がある。画面に出すにはもってこいの人物だ。
「んじゃ、もう一人は秀人で決まりだな」
「え? なんで俺なんだよ」
 剛の断定的な口調に、秀人が立ち上がって抗議する。しかし、こちらは立ち上がっても子どもが飛び跳ねている、くらいにしか見えない。剛は当然のように答える。
「決まっとろうもん。凸凹コンビ。ノミの夫婦」
「俺、ぜってーヤダ」
 雅治は、駄々をこねる秀人を、いつも通りに無視した。
「出演者も二人決定したことだし、この案を採用することにしていいかな」
 何をやるかがまとまれば、あとは各自の関心や能力に合わせて話は広がっていくものだ。あたしたちは、このあと、ゼロ時間目が始まる直前まで細かいアイデアを出し合った。

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